【どろろ】第4話感想:妖刀似蛭の裏にあるドラマを見よ

どろろ第4話「妖刀の巻」が放映、配信されました!

前回は百鬼丸と寿海の過去の話。

寿海は過去、領主に罪人の処刑を命じられたんですが罪悪感にさいなまれ自らも命を絶とうとした、そんな壮絶な過去がありました。

大陸の船に助けられたことでせめてもの罪滅ぼしとして義手義足の技術を学び、日本に帰って山奥でひっそり医者になった、その過去が足かせとなり、父親を彼に処刑されたお弟子さんから見限られることに。

絶望の淵に立たされたところで川を流されてきた百鬼丸を拾い一人の若者へと育て上げ、送り出していった、そんなエピソードでした。

なお、このときに右足を取り戻しております。

今回はどんな話となるのか見ていくよ!

第4話あらすじ

どろろと百鬼丸は人斬りの田之介と対峙する。彼が振るう刀は鬼神が宿る呪われた妖刀であった。かろうじて田之介を退けるも、妖刀がどろろの手に渡ってしまい、どろろは妖刀に操られてしまう。

どろろアニメ公式サイトより~
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序盤からみどころあるアクションシーン、でも・・・

今回は序盤からのみどころあるアクションシーンではじまりました。

雨に打たれている百鬼丸、妖怪の気配を感じ急いで向かった先には斬られたばかりのたくさんの死体!

そしてその先にいたのは・・・刀を持ったどう見ても怪しい風貌の男!

しかもその刀には血がびっしり付着していた、この男がやったのは間違いありません。

で、そのアクションシーンが本当に素晴らしい、神経を取り戻したことで百鬼丸に痛みを感じるところもしっかり表現できていますし、最後、自らの義足(左足は義足のまま)を使い刀だけ吹き飛ばしたのもナイスな判断です。

百鬼丸はオーラで見えていたんですね、人間は悪くない、その刀だけが妖怪だということに。

だから男から刀を吹き飛ばした後でその刀だけを破壊する算段だったんでしょう。

ですが、このあと義足を拾いに行ったどろろがなぜに義足だけでなく妖刀をも手にしたのかの描写がなかったのが非常に残念。

これじゃ興味本位で刀も手にした、ただのバカガキじゃないですか!

確かにこの年の少年なら男を人殺しへと駆り立てるようになった、その怪しい刀を手に取りたくなるのは分からなくはないんですけどね。

ですが、ああ、百鬼丸の算段がもろくもくずれさってしまう・・・

どろろのように、すべて見えているとこうなってしまう例ですか。

妖刀似蛭に隠された人間のドラマ

今作は2クールということでストーリーはかなりコンパクトに押し込まないといけないわけですが、それでも妖刀似蛭には隠された人間のドラマがありました。

持ち主の男、田之助はかつて武士の1人だったんですが、あるとき、領主によりいかな大軍でも落とせない、まっことよきやぐらを建造した大工を機密情報保持により切腹しろと命じられた、罪なき人を斬ったことにで精神をやられ、この血を欲するようになった刀に取り憑かれて辻斬りをするようになった、そんな過去が描かれました。

田之助は刀の持つ魔力に取り憑かれてしまったのか・・・

はたして、刀自体が血を欲していて、田之助はそれに捕らわれて生きてきたのか、それとも、実は刀には血を欲する欲望そのものはなくて、実は精神をやられた田之助が血を欲するようになったその黒い欲望を、ただひたすらにブースターのように増大させる力を持っていたのか・・・

とストーリーを見ながらいろいろ考えてみたんですが、手に取ったどろろが全く扱えず刀にひたすら動かされていたように、刀自体が意志を持っているようにも見えます。

この手の刀は刀自身の持つ魔力を凌駕する、非常に強い精神力がある人物でないと扱えない代物に描写されるのが常ですから。

しかし刀自体はどろろの体を借りて田之助の元へ戻ろうとしていたので、やはり悪い欲望を持つ人間の元へ磁石のように戻っていく、そんな習性が宿っているんでしょう。

だとすると、田之助は辻斬りを自らの意思で行っていることになりますか。

どろろが似蛭の影響を全く受けず性格が変わらなかったのは、似蛭からは黒い欲望が0と判断され、新たな宿り主として選ばれなかったからだと思われます。

そうするとやっぱりどろろが似蛭を手にするまでの描写がなかったのが本当に残念でなりませんね。

最後、耳を取り戻した百鬼丸が最初に聞いたのが誰かの喜びの声ではなく、さっきの戦いで命を落とした田之助のそばにいるお寿司の悲しみに暮れた泣き声ともう1つ、序盤には聞こえなかった、ずっと強く降りしきる雨音なのがこのドラマの結末の悲壮感をよりいっそう高めてくれています。

妹のお須志ちゃんは5年もの間ずっと帰りを待っていたんですよ田之助の。

ですが、帰ってきた田之助はすっかり人が変わっていた、それでもお須志にとっては兄だ、助けてやりたいけれど田之助の意志によりそれが叶わなかった、そして最後、自分の目の前で似蛭に引きづられるように命を落としてしまった、なんという悲しみにあふれたものか。

どうやら原作での田之助は最期、自害する描写になっていたようですね。

雨で始まり雨で終わる話だったよ・・・

もしかすると田之助は似蛭にすっかり惹かれてしまい、辻斬りを繰り返していたことで聞く耳も持たなくなりもうどうにもならないところまで行ってしまったため、序盤の時点で遅かれ早かれどこかで報いとして最期のときが訪れるのを待っていたんだろうな・・・

今回、聞く耳を持たない男が持つ刀を破壊したことで百鬼丸が取り戻したのが耳というなんたる皮肉な話よ。

ということは、あの腹切りを行うまでは田之助の本当の性格はやはり妹思いの心優しい青年で、刀をずっと持っていたのは、取り憑かれたと言うよりかはこの人殺しの刀を他の人に持ってほしくなかったのもあるんでしょう。

武士の世は下剋上があったり切腹があったりと血がそこかしこで流れる今の平和な世の中からしてみたらとかく残酷な世界ですが、それをここまで描いた原作手塚治虫氏と今作の制作者に感涙をしております。

それにしてもやっぱりちょっとだけ気になっているのは手塚先生の描く領主で、なんで今まで出てきた2人ともそっくり冷酷なんだろうか・・・

今で言う、パワハラで部下をとことん恫喝していたス●ガ銀行の上司ですよ・・・

やはり武士の1人だったときに戦いの日々が続き、仲間や敵の武士が死んだ、あるいははりつけをはじめ刑罰が下されている酷い光景を何度も見てきたことで、領主は熱い感情を失ってしまうのもあるのかもしれませんね。

手塚治虫先生の謎ネーミングセンス

それにしても手塚治虫先生のネーミングセンスが非常に謎。

どろろ、百鬼丸、多宝丸はまあ分かるんですが、モブキャラの名前に至っては「お須志」、極めてストーリーで重要となる妖刀の名前が「ニヒル」ってどんな名前の付け方なの・・・

ニヒルには「虚無、つまりは心を失った、冷たい影がある者」という意味があるので聞く耳を持たなくなった、善悪を判断する心を失った、虚無となり刀で人を殺すことしかできなくなった田之助がずっと持ったままなのは分からなくはないんですが・・・

お須志=お寿司ってなんやねん!

たまに安直に名付けたおふざけネーミングが出てくるのが手塚治虫先生の作品の宿命だというのか・・・

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