【どろろ】第9話感想:どろろの過去回、実はどろろは・・・

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

どろろ第9話「無残帳の巻」の感想です。

前回は黒雲をまとった大百足の鬼神を倒したエピソードでしたね。

大百足を鎮めるために若い娘を花嫁として生け贄に捧げるならわしがあったとある村。

谷に住み獣を狩っている少年、さると共闘し大百足を退治していきます。

百鬼丸は目が見えないから音で鬼神との距離を判断し、最終的には体内から大百足の体をぶった切りました!

そして百鬼丸に鼻が戻った回でした。

第9話あらすじ

風邪で熱にうなされるどろろ。朦朧としながら曼珠沙華を目にしたどろろは、父・火袋と母・お自夜とのかつての日々を思い出す。

どろろアニメ公式サイトより~

どろろの過去回!

今回は高熱にうかされているどろろがお寺で療養中、意識を朦朧としながら両親を思い出す過去回ということでモノクロのシーンが多め。

回想シーンにおいて色がついていると言えば炎や流血、あとは曼珠沙華の赤色だけですね。

赤色のイメージと言えば情熱、暖かさ、活発さ、さらには戦、血、動乱といったものが浮かび上がりますか。

そして赤の曼珠沙華と言えば花言葉は情熱、あきらめ、悲しい思い出。

どろろが曼珠沙華にいい思い出がないのには理由があるんでしょう。

さて、どろろが孤児になる前はどんな家庭だったのかというと・・・

父親の火袋は元農民だったけれど、侍に村を襲われたことからいまでは農民たちの集団で結成された侍を襲う野伏せり、今で言うゲリラ集団の首領となっていた。

野伏せりは各地を転々としていて、母親のお自夜は野伏せりVS侍の戦いを目の前にした動乱の中どろろを育て上げた、こちらも元農民ですね。

火袋と肩を並べるイタチなる男が今回伏兵になりそう。

イタチ「うまく領主に取り入りさえすればいいご身分が手に入る」

イタチ「侍どもと手を組んで出世しなきゃ」

これもうフラグじゃありませんか。

これほどまでに分かりやすい権力者側に寝返る反逆者フラグを立てている男がいただろうか。

もうオチはお分かりですよね。

そう、侍との戦いの最中、イタチは侍と手を組み、かつての部下も全員取り込んだうえで火袋の足に矢を放ち再起不能にしてしまったのです。

イタチ「もう侍の時代なんだ、あんたみたいに融通がきかないんじゃ生きていけないんだよ」

野伏せりの首領の地位をあっという間に失ってしまった火袋。

あるとき、山に潜んでいた火袋たちはごく至近距離で侍たちが農民の家を焼くところを目にし、襲いかかろうとするも、反対に侍に目をつけられ、戦いの最中背中から心臓を槍で一突きされて命を落としてしまいました。

父親までも失ったどろろとお自夜。

ひっそりと各地を転々とし、途中餓死した人が行き倒れ、一家が白骨死体になっていた村も通り過ぎ、とある寺で侍によるほどこし(配給)を受けようとしたのだが、そこにいた侍がなんとなんとのイタチでした。

イタチは領主に取り入ったはいいものの、戦で手柄を立てる必要があった。

そこでほどこしの名目で使えそうな男どもを集めていたと。

どろろに飯を食わせるために手にやけどを負いながらも食べ物をすくうお自夜。

そんな光景を見たイタチはこう言います。

「落ちぼれちまいやがって・・・」

「これからの世の中は力だけじゃ生き残れねえ、ここ(頭脳)だよここ、賢くねえやつは、死ぬぞ」

数日後、衰弱してしまったお自夜は曼珠沙華の花が咲き乱れるところで、ひっそりと息絶えてしまったのでした。

そこから孤児になったどろろはコソドロをして食いつなぎ、偶然百鬼丸と知り合った、と、そういうわけだったんですね。

イタチ視点とお自夜視点

果たして今回はお自夜とイタチのどっちの視点で見ればいいんだろう。

このさい両方書けばいいのかな。

まずイタチの視点に立つとするならば・・・原作の時代は1968年。

社会主義のソ連を中心とした東側と資本主義のアメリカを中心とした西側による冷戦の真っ只中。

代理戦争とも言える戦争が世界中のそこかしこで行われていました。

代表的なのはベトナム戦争でしょうか。

日本は戦いに参加していませんが、東京でも国会議事堂を取り囲んだ反戦デモがさかんに行われていた時期ですね。

そして原作者の手塚治虫氏は自身の戦争体験から、反戦主義といいますか、生命の尊厳をテーマにした話を盛り込む人物でもありました。

イタチが言っていた「これからの戦は力ではなく頭脳」というのは、これからの世界は単なる武力はなく、情報戦が戦争のメインとなることを原作者は予期していたか。

太平洋戦争でも日本は兵力ではなく情報戦ですでにアメリカに敗れていたともいわれているので、やはり戦争体験の中で戦の本質に気づいていたんでしょう。

さらにいうと、現代はインターネットでいつでもどこでも情報にアクセスできますので、やはり賢くねえやつは誰が言ったか分からねえような稚拙なデマにすら振り回されてやがて死ぬんだぞというのもメッセージとして付け加えられています。

もっとも、台詞回しになると今度は原作者よりもアニメ脚本家の仕事になりますけどね。

一方でお自夜の方ですが・・・父親をなくし、寺でお粥をなりふり構わずに恵んでもらう母親の愛や、父親をなくしても母と子で力強く生き抜いていくさまを描きたかったんでしょうが、あそこでイタチの登場によってただひたすらに落ちぶれた一家として扱われてしまったためにそのすべてがどこかに消えてしまいましたね。

いや、そこはとことん感動的な話に仕立て上げておくれよ・・・

これじゃどろろの両親の全盛期と落ちぶれをそのまんま見せられているだけだよ・・・

落ちぶれてもなお死の瞬間まで勇敢だった父親や母親からの深い愛情を注がれて孤児になっても力強く生きていくと決意したどろろの、百鬼丸との出会いからいままでの話にかけてが台無しだよ・・・

もはやお自夜がお寺でほどこしを恵むシーンで他の侍はいてもいいけど、イタチだけはいらないよ・・・

どろろは請け負った仕事には必ず何らかの報酬を求める、頭を使う生き方をするようになったのはこのときのイタチの影響、というところは分かりましたけどね。

どろろの衝撃の事実!

さて、衝撃の事実!

どろろはなんと女の子でした!

今作ではあっさりと秘密を明かしちゃうのね。

原作だとわりと後半の話にならないと出てこなかったのに。

ということは本当は”どろろちゃん”だったのか!

服を洗うときに尼さんが脱がせる→百鬼丸に裸を見られたかも知れない→恥ずかしい~

思春期来るのはええな・・・

まあ両親じゃない関係の年が離れた男と毎日一緒にいるから、そら恥じらいの概念がない少女でもさすがにそう思うか。

なんだろう、こう火袋の末路を見ると大学を出て一流企業を転々とした結果、都会のサラリーマンを敵に回して田舎に移住していっとき成功するも、うまくいかなくなると稼げなくなったのをひた隠すために信者を集う怪しいビジネスばかりに手を染めるようになり、結局都会にいるときよりも田舎で暮らしている方が消耗していると思しきとある人物を連想とさせるものがあったのは自分だけだろうか。

それでは第10話でもお会いしましょう!